宇都宮の爆弾自殺…自殺する人間はどこまでも自己中になれるのか

ここ最近のニュースで腹立たしいのが宇都宮の爆発事件。72歳の元自衛官の男が自作した爆発物を使って自殺したってやつだけど、その巻き添えで2人が重傷、1人が軽傷を負ったアレ。

<宇都宮爆発>金属片40メートル飛散…高い殺傷能力(毎日新聞) – Yahoo!ニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161024-00000022-mai-soci

「自殺した男が書いたブログを読んだらこの人も被害者だったんだなって思った」とかいう話がネットには出てるけど、怪我をさせられた方からしてみりゃそんなの知ったこっちゃないでしょ。

そりゃ当人の痛み・苦しみは当人にしかわからないから私たちは察するよりほかにないんだけど、どんなに辛い思いをしたからって他の人を傷つけていい理由にはならない。余りにも身勝手だ。

前に新幹線の車内で自分に火をつけて自殺した男もいたけど、そのときは巻き添えで女性がお亡くなりになってしまった。

死を覚悟した人間は自己中になれる…?
終わらせるなら終わらせ方というものがあるでしょうに

終わらせるなら終わらせ方というものがあるでしょうに

「自分さえよければいい、人のことなんかしったこっちゃない」こういう考え方ってすごく嫌い。まあ自己中な生き方というか。

でもどうして自己中な生き方が嫌いなのかと改めて自分に問いかけてみると、そんな生き方は美しくないからっていう理由のほかに、なんかこうイヤな感じのものが頭に浮かんでくるんだよなあ。

  • 自己中だったら周りから嫌な奴だと思われそう
  • 自己中だったらいざってときに周りの人が助けてくれなさそう
  • 自己中だったらなにか自分にとって不利益がありそう

つまりこれって、自己中だったら将来なにか自分にとって不都合なことがありそうだ。だから自己中はやめとこうってことなんじゃないか。なんかこれって、かなり自己中心的な理由だな。

んで自殺する人の自己中な振る舞いに話を戻すと、自殺するって決めた人はもうその時点で「将来」というものがなくなってしまってる。自分が死んだあとの世界は観測できないんだから存在しないのと同じ。そんな存在しない世界のことを考える必要はないというかね。

とすれば、自殺すると決めた人はとことん自己中になったとしてもおかしくはない、か。将来を捨てた人間というか、何も失うものがなくなった人間というか。そういう人間は恐ろしい。

とまあそんなわけで、死ぬ覚悟を決めた人間に迷惑をかけずに死ねと言ったところで無駄なんだろうな。今回の事件みたいに爆破テロを起こす自殺志願者はそう多くはないだろうけど、怪しい人間・モノには近づかないようにして自衛するしかないのか。自衛と知っても新幹線の中でいきなり火を放たれちゃどうしようもないわけだけど。

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