いきなりですけどね、仕事中に「生きた証」について考えていたんですよ。
遺したくないですか、生きた証。
私も最初は「くぅー!生きた証を遺してぇー!」って感じで思考に入っていたんですけど、だんだんと「でも、死んだあとのことなんか認知できないんだからどうでもよくない?」ってなってきて、「いやいや、死んだあとのことじゃなくて、生きた証を遺すことができた状態の人生を送りたいのでは?」と来まして。
そう言われてみればそんな気もする…じゃあ生きた証ってなんだろうと考えてみると、やはり一番に浮かんだのは子供かなあと。
いやーしかしね、低収入かつ40歳を過ぎたおっさんが子供ってのもナイヨ・ナイヨ・ナイトかなって。予測変換で出てきたので知りもしないのに使ってみたんですが、これは郷ひろみの歌ですね。はい。
となると、子供以外の生きた証を遺すか…と思うわけですがね。なかなかそんなものないよなあって。慈善事業をしようにもそもそもお金がありませんし。
まあ弟はまともに育ってちゃんとした家庭を持って子宝にも恵まれたので、その子達が私の生きた証になるのかもしれません。
まあ、向こうからすれば「いや叔父さんの生きた証とか言われてもしらんし」といったところでしょうが。
……そんな感じで自分の心の中を探索していたら仕事が終わりました。単純作業の肉体労働は、身体と精神を切り離して好きなだけ思考実験ができるのがメリットです。
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